古池や
少し前、横光利一の「睡蓮」という作品を読んだ。主人公の男が、亡くなった隣人の遺した句集を読みそれまで知ることの無かった彼の一面に思いを巡らすという話。
その中に出てくる短歌が、現在にも十分通じるテーマやわかりやすい言葉で書いてあったこともありスッと心の中に入ってきたのを覚えている。
『移されしさまにも見えずわが池の白き睡蓮(すいれん)けさ咲きにけり』
これは、彼の勤め先である刑務所に咲く睡蓮を詠んだ歌らしい。もとはほかの場所に咲いていた睡蓮を根分けして刑務所の池に移したのだが、そんな事お構いなしに睡蓮はその可憐さを全うして咲き誇る。それに比べ、人間はいかなる人格者といえども刑務所なぞに来れば態度が変わってしまう。自分もそんな睡蓮のように、いかなる事態に直面しても泰然自若としていたい。そんな意味らしい。
話を読み進める内に、日常の風景を自分が普段感じているように切り取り、31字という短い制約の中で表現する行為、これは娯楽性・芸術性ともに最高峰にある遊びなんじゃないか、などと思うまでになたわけです。
そこに技巧を凝らしたり、さらに17字+季語と言うように制約をつけて俳句を詠むことを考えると詠み手たちのその技量に舌を巻いてしまう。
そこで、今日はIさんと夕飯を食堂で食べた後ビールを飲みながら遊び半分にサークル関連の川柳を作ってみた。やってみるとわかるその難しさ。普段何をどう見ているのか、センスがめちゃめちゃ問われます。以下抜粋
教室(へや)覗き 上手いと思えば 後輩か
後輩の演奏の上達ぶりに頼もしさを覚えると同時に、焦燥感を感じる。よくある。
ライブやり クソだと思うが 乾杯だ(こうだったけな?うろ覚え)
とりあえず飲む(笑)
かわいいな (---検閲----) かわいいな
同意。ライブの醍醐味。
難しいですね。Wikipedia見たら、あまりのテクニカルっぷりにびっくりしました。
ちなみに他にも「水蓮」の中には歌が出てきて、
『冷え立ちし夜床にさめて手さぐりに吾子の寝具かけなほしけり』
なんかは情景が目に浮かぶようで結構好きです。子供はいいなー
この水蓮は青空文庫で読めます。でもPCの画面で文章読むって辛いよな・・・