こういう謎の義憤というか中二病感覚が自分を押し進める原動力になる気がする

実は今まで、いわゆるヴィレッジヴァンガード的空間があまり得意では無かったのだけど、先日知りあいと覗いてみてやはり面白かったので今日も行ってきた。


このヴィレッジヴァンガードという本屋さん、確かに見ていて面白いのだけどどうも行く度に違和感を感じてしまう。

それはおそらく本来表に出てこない存在であるサブカルをでーんと大きく取り扱ってメインストリームに押し上げてしまうその気風にあるのではないかと思った。



これをメタルで例えてみよう。

僕は中学や高校の時からメタルが大好きだった。ところが普通に暮らしていたらメタルの情報なんてそう簡単に入ってこない。なので、頑張って雑誌を読んだり、知らない街のツタヤを覗いて未だ名前しか知らない大物のCDを見つけたときなぞそれはそれは嬉しかった。そしてクラスでただ一人メタルを聞いている自分にほくそ笑んでいたわけです。


ところが、大学にも入りネットも当時より普及。メタル好きの交友関係も広がった今、逆にあの頃のような感動を得ることは少なくなってしまったのでした・・・


そのままヴィレヴァンのケースに移し替えてみよう。

サブカル好きの僕が、ある日ヴィレヴァンの前を通りかかる。ヴィレヴァンがあるのはたいていオシャレな場所(な気がする)だ。すると何ということか、自分が密かに愛でていたあんな作品やこんな作品がいち通りすがりによって手に取られ、消費されているじゃないですか!!しかも大々的なPOPまでつけられて!!
「そういえばこれヴィレヴァンにあったよねー」
「うんうん、私も最近これ好きー」
・・・・・・


さらに店内を見ていると、時には「ヴィレッジヴァンガードに置いてあるからこれを身につければオーケーだよ」的な空気を非常に感じてしまって居心地の悪さすら覚えてしまう。
つまり、オシャレっぽいもの、サブカルっぽいもの、ひいては全然そう見えないもの(18禁エロマンガとか)でさえも、店内に置いてあるだけで全てヴィレヴァン印をつけられて安易な消費システムの中に組み込まれてしまっているのである。
消費者である僕たちは、まるで黄門様の印籠を見せられたかのようにその前にひれ伏すしかない。



サブカル好きの人は果たして、こんな蛮行許せるのだろうか。

少なくともメタル好きの中学生だった僕がメタルに対しこんな事をされたら悔しさでいっぱいだっただろうと思う。


やはり、躍起になり誰に理解されるとも知らず必死に自分の好きなものを追い求めなければ、それは自分の血肉にはならずペラッペラの上っ面だけになってしまうのではないか?
何でもそうだけど、あまりにメジャーになり過ぎてしまったために、かえって薄っぺら感というか上っ面感が増すというのはよくある現象ではないだろうか?これを称してヴィレヴァン現象と呼ぶ。



おそらく、ヴィレヴァン創始者はじめスタッフや愛好者はみんなヴィレヴァンちっくなものが好きで好きでたまらないのだろう。愛に溢れる店の雰囲気からその気持ちは痛いほど伝わってくる。
けれど、それをみんなと分かち合いあまりに世のニーズを捉え過ぎてしまった結果、肥大化しそこに歪みのようなものが発生したこともまた事実であると思う。



つまり

「いいのか世のサブカル好きたちよ!!!もっと『マニアックな俺すげー』と陰でほくそ笑みたくないのか!!」

ということです。



しかし自分一人が吠えたところで、依然としてヴィレヴァンは結構面白いというのもまた事実。困ったもんです。多分また行く。


ただ、プッシュするCDだけはなんとかして欲しい。目につくのは「あの有名曲のハウスリミックス」やら「ジャズリミックス」やらばっか。何でもノリノリで聞きやすくすればいいのかと。試聴したT-REXの20th century boyの謎のジャズファンクカバーとか、もうどうしようか・・・という感じだった。